先週末、娘がかようワシントンD.C.の大学の年末のダンスパーティーがひらかれる。親も招待され、娘の説得にまけ私も行く。米国はパーティーの設定が本当に上手。由緒あるワシントンD.C.のユニオンステーションの駅を借りきり、パーティーがひらかれる。わたしが、(数十年前に)カリフォルニアの高校を卒業したとき、卒業式の夜にディズニーランドを借り切ってパーティーをしたのを思い出す。
ユニオンステーションのパーティーに入る前の列。あとで聞いたら、5000人が参加したそうです、、、、、
やっと中にはいると、この人混み、、、、
ダンスパーティー。微笑ましい、の一言。でも私たちはダンス会場に入ったとたんに360度方向をかえて外に出る。Too noisy, too many people….
私と娘が唯一同意するところ。ドレスアップの正式のパーティーで一番楽しくて興奮をする部分は、ドレスアップをしながら、これでヘアーはよいのかしら、どのドレスを着ようかしら、どういうメークをしようかしらなどと女の子どうしで死闘問答する部分。もちろん、デートのお相手がうっとりした顔をしてくれると何とも言えませんけれどもね。
以前はどうしてこういうことが必要なのかなと疑問に思っていたけれど、この頃は、人それぞれ本当に一生懸命に生きていて、経済的な状況がどんなにうまくいっていても不幸な人はたくさんいて、逆に経済的には大変で苦しんでいても幸せな人がたくさんいることを身にしみてしらされています。ですから、うれしいときは嬉しい気持ちをあらわあすこと、いらいらしているときは人のせいにせずに素直に自分の状態をうけいれて自分で処理をするべきことの大切さを思い知らされます。瞑想をすると、今の自分がどういう状況にあっても、平穏さが自分の中にあるのがわかります。誇りに思うことをお祝いをすること、素晴らしいです。行動の成果が純粋であれば、まわりがどんなに苦しんでいても、祝されるべきものです。そのエネルギーがまわりをポジティブにかえて、苦しんでいる人たちを助けていきます。世の中が完璧になることはないです。でもその中で幸福感をなんとかひろめていくのが私たちの使命ではないでしょうか?行きたくもないパーティーに行きながら、娘の笑顔をみて、わけもわからず幸福感にひたった経験からの一言です、、、
久美子